こんにちは、ストロング宮迫です。

いよいよ高校入試一色となってきました。

入試前に「合格証書」が出せるように、しっかり勉強させて送り出しましょう。

この前、ここで紹介した小6のねこさんがお子さんのコメント共に写真を送ってくださいました。

個人情報保護法の観点から一部画像を処理してお届けします。

見えにくいかもしれませんが、入試前に渡された合格証書にはこう記されています。

あなたは、この2年間毎日休むことなく勉学に励み、小学校生活と受験勉強を両立して頑張ってきました。

・・・休まずに受験勉強をつづけた努力は、あなたのこれからの人生において、かけがえのない力となるでしょう。

今日まで誰にも負けない努力を続けたあなたは、私たち家族の誇りです。

明日、第一志望校受験に挑むあなたへ、〇〇家より、今日までのたゆまぬ努力に敬意を表し、合格証書を授与します。

入試に挑む前に、こう言ってやれるすばらしさ、そう言って送り出してやれるすごさ、そこです。

できれば写真の顔もみていただきたいくらいなんですが、実にしっかりした顔をしてましたよ。

ああ、頑張ってきたこの顔だな・・・そう思いました。

あなたのお子さんも、そんな顔で受験に向かえたら、いいですね。

この写真とともに、お子さんからのメールにはこうありました。

これからの進路に向けて、また頑張ろうと思います。

次は、僕から両親に第一志望校の合格証を贈りたいです。

ねこどら息子より

泣かせるわ~

頑張ってよー!親子ですばらしい受験を経験したのに、顔の写真の加工がヘンになっちゃってゴメンね。

また狩りがすぐに始まるからさ、しっかり準備して臨むんだよ!イイもの、見せてくれてありがとぅー!

今年も多くの方がこうして受験生の子供に合格証書を渡して送り出した。でもね、みんなが出せるものじゃないんですよ。そこはね、努力だから。何物にも代えがたい血と涙の結晶だからね。

入試前日に思い出して合格証書が出せないように、親技もさ、【さあ、やろう!】でスタートできません

親技を駆使するためには、これまでの接し方、かかわり方、子供との距離感・信頼関係、子供の今の学習状況と習熟度、勉強の習慣、勉強のやり方、授業の受け方などさまざまな要素が前提となって、初めて親技を駆使できるのだから。

駆使しようと思わなければ始まらないけど、スタート地点は、人それぞれってことでもあります。

まあ、迷わず行けよ!行けばわかるさ!ですな。

およげ!対訳くんサイトより

目についた
山にはとにかく登ってみなさい
あらゆるところを隈なく探し
脇道だからと省略しないで
たとえ細い道だとしても
知ってる道があるのなら
みんな辿って行ってみなさい

Climb every mountain,
Search high and low,
Follow every byway,
Every path you know.

さて、受験生からの報告もたくさん届いていますが、ご卒業になった方からもメールが届いていますので、紹介しましょう。

しゃんしゃんさん

ストロング先生、ご無沙汰しております。昨年の今頃、上の子が受験を終えた、親カツ卒業生のしゃんしゃんです。

おかげさまで、中1の上の子は中高一貫校生活を楽しんでいます。

現在小学生の下の子は、昨年の春夏には「塾へ行って中学受験をする」と言っており、秋までは進学塾の体験や学校見学もしておりました。

受験や勉強の相談ではなく恐縮ですが、その後の下の子は、りっぱな不登校児となりまして、入塾前にして上の子の小4時より10も偏差値が高かった下の子は、もはや中学受験どころではありません。

お忙しいところ、長々と我が家の事情を書くわけにもいきませんが、これだけ数が多ければ、教育に携わっている方として「不登校」という現象、問題と触れる機会もおありなのではないかと想像します。

もし、これまでに「不登校」について何か感じたり、不登校児とかかわったご経験がありましたら、ストロング先生のお考えをお聞かせいただければ幸いです。

なぜストロング先生に、こんな勉強以前の相談をさせていただいているかというと、私自身が子育てにおいて信頼している人の言葉を聞きたいと思ったからにほかなりません。

残念なことに、中学受験より不登校に関する情報ははるかに少なく、あやしく、弱みに付けこんだ高額な復学指導やカウンセリング、宗教がかったセミナーや“カリスマ”の話に疲れてしまいました。

わたし自身の問題としては、上の子の受験で親カツをがんばったように、なぜ下の子に日々かかわれないのだろうと感じて自分を責めてしまうところがあります。

学校へ行けないのは「自信がない」からで、その自信をつけてあげられるのは親だとわかっているのにです。

年度が替わるご多忙な折、お門のちがうようなお話で恐縮ですが、メルマガはいつも拝読しておりますので、何かのおりに、機会がありましたら、ネタにしていただけたら、うれしゅうございます。

そうですね、兄弟によって性質がちがうので、親技も同じようにはいかないとか……?

学校に行かなくても、下の子は優しいいい子で親子関係は良好です。

ただ、学校から逃げて好きなことをして過ごすという育ち方では本人が苦労しますし、「学校へ行ける力」をなんとかつけてあげたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。

上のお子さんは中学受験を経て「中高一貫校生活を楽しんで」いるのに、下の子さんが不登校になったと。上の子でやったように勉強を見て、一緒に頑張りたいのに!ってわけです。

で、

あやしく、弱みに付けこんだ高額な復学指導やカウンセリング、宗教がかったセミナーや“カリスマ”の話に疲れてしまいました

あ~あ・・・

個人的には「中学受験より不登校に関する情報ははるかに少なく」は、ちょっと信じられないなあ・・・

アマゾンで「不登校」ってキーワードで検索すると「検索結果 1,719件」って出るから、相当数の本が出ているんじゃないのか。

ある分野の本を集中して千冊も読めば、たいていはもう専門家になれるんです。「弱みに付けこんだ高額な復学指導」にお金をかけるくらいなら、それもいいけれど、その前に本を読んだらいいですね。

不登校ってどういうことなの?っていう概説書を何冊か読んで、そこからはお子さんの事象に合いそうな個別事例を読んでいく。

それでだいたい「どういうことが起こっているのか?」は客観的に見られるようになるんじゃないでしょうかね。

それに対処できるかどうかはまた別問題だけど、「どういうことなのか?」がわかるだけでも前進します。

ちなみにアマゾンで「中学受験」を検索すると「検索結果 51,275件」、「【中学入試】なら検索結果 47,486件」「【高校入試】なら検索結果 39,077件」と出ます。

本の数でいったら、たしかに30倍違う(+_+) でも、中学入試でも高校入試でも、これらには問題集や参考書が含まれてる。

だから、発行されている本で見る情報量は、そう変わらないんじゃないでしょうかね。不登校では、当人が書いている本もあるし、小説もあるし、学者が書いてるのもあって、より取り見取り。

「不登校」について何か感じたり、不登校児とかかわったご経験がありましたら、ストロング先生のお考えをお聞かせいただければ幸いです。

これについては、個人的な経験を書くと、家庭教師って、子供たちが学校に行っている昼間ってヒマなんです。

わかりますよね?

指導はいつだって夜だ!

しかし、からだは1つだから、行ける家庭は限られる!

年収っていう観点から言えば、ものすごく報酬が高いタイガー山中や油田王を顧客に持つか、しないと、上限が限られる。

そこが職業として「家庭教師」が成り立ちにくいとこなんですよね。すごい先生でも「年収2千万円です」って先生にほとんどで出会わないのはそうした理由からでしょう。

だけど、いつくらいからか、昼間に家庭教師に行く機会がすごく増えた。

朝と昼はヒマだからね!ここに家庭教師の仕事が入ったら、すごいですよね。職業として、家庭教師一本でメシが食える可能性が高まる。

そう、不登校の子供たちの家に行くわけです「おはよう!」ってさ。

ボクが行っていた家庭は、親が仕事でいない家が多かったですね。

つまり、ボクは家に一人でいる子供の子守り代わりってわけです。

「センセー、なんか飲みます?」って冷蔵庫開けられたり、勉強しないで、トランプしたりさ。

まあ、当時のボクは「子守りしてお金もらってもなあ・・・」って気持ちだったから、だんだんと昼間は家庭教師をしなくなっちゃったけれど。

余談はさておき、不登校の子供で「特別な子供」って感じたことはないですよ。普通の子供ばっかりだった。専門家と比べると、見てきた数は少ないでしょうが、みんなわずかなボタンの掛け違いがあっただけのようにも見えました

以下のグラフは、手元にあった滝川一廣著「学校へ行く意味・休む意味: 不登校ってなんだろう?」に出ているグラフです。

友人関係をめぐる問題
教職員との関係をめぐる問題
学業の不振
進路に係る不安
クラブ活動,部活動等への不適応
学校のきまり等をめぐる問題
入学,転編入学,進級時の不適応
家庭の生活環境の急激な変化
親子関係をめぐる問題
家庭内の不和
病気による欠席
その他の本人かかかわる問題
その他及び不明

円グラフをながめれば、子どもたちの日常生活がはらむすべての問題が登校をつまずかせるものとなっている事実が浮かびあがらないでしょうか。

昔なら「こんなことで学校を休むなんて考えられない」といったことも含め、あらゆることがらでつまずく児童生徒がでてきたことがわかります。

これは「学校へ行く意味」が見えなくなり、子どもたちを積極的に学校へ向かわせる力が弱まったためですね。

そのため、学校内の問題であれ、家庭内の問題であれ、個人内の問題であれ、なにでひっかかっても、たやすく不登校につながるようになったのです。

最新の情報はこちら
平成27年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」結果(速報値)

滝川一廣著「学校へ行く意味・休む意味: 不登校ってなんだろう?」より

学校要因説にせよ家庭要因説にせよ、不登校論のほとんどは、こうした現実の児童生徒の意識のあり方の変化をていねいに調べて、そこからことの本質をさぐろうとしたものではありませんでした

「教育はこうあるべき」「子育てはこうあるぺき」という各人の理念や願望が先にあって、その理念や願望のめがねをとおして不登校をながめたものでした。

めいめいのめがねの色がちがうのですから、同じ現象がまったくちがってみえたり、平行線の対立のままになってもふしぎはありません。

ボクはそれを「大人になるってカンタンじゃないよなあ」って意味も込めて、以前ここで河合隼雄著作集の中の『流動する家族関係』に収められている『大人になることのむずかしさ』という本を紹介しました。

河合隼雄先生は「意味を探れ」と書いておられます。

河合隼雄著作集『流動する家族関係』の中から

『大人になることのむずかしさ』より

ある大学生が登校もせず下宿にひきこもって、外に出なくなってしまった。このようなことが起こると、大人はすぐに「原因は何か」と考えたがる。

そのときにどうしても問題を早く片づけたいという焦りがあるだけに、原因 ― 結果の鎖を見出すのに短兵急になりがちであり、「子どもの意志が弱すぎる」ことが原因と考えて叱責する。

あるいは、「大学の教官が学生に冷淡すぎる」ことが原因と考え、教官を非難する。ところが、一方、大学の教官の方では「親の過保護が原因」と考え、親を攻撃するかも知れない。

原因探しはしばしば「悪者探し」となり、それも大人たちはとかく自分以外の者を悪者に仕立てようとするので、互いに攻撃し合ったり、一緒になって子どもを責めたてたりするが、問題はなかなか解決しないのである。

そこで、この学生が登校せずに下宿にひきこもっている「意味は何か」という問いを発すると(その答えはそれほど簡単には出て来ないであろうが)、焦って悪者探しをする態度からは皆が解放され、その事象が早く片づけねばならぬ嫌なこと、という見方ではなく、そこから何かブラスのことを引き出せる可能性のあること、という見方に変るであろう。

このように考える方が、はるかに建設的となってくる。原因 ― 結果の連鎖を探り出そうとする態度は、ややもすると目を過去にのみ向けさせ、そこに存在する悪を見つけて攻撃したり、後悔の念を強めたりするだけで、そこから前進する力を弱めることが多い。

意味を探ろうとする態度は、むしろ未来へと目を向け、そこからどのように立ち上ってゆくかという建設的な考えに結びつきやすいのである。

このようにいっても、人間は因果関係によって事象を見ることがあまりにも好きであることと、そのような見方は自分を局外者において、安全地帯から他人を批判できやすいこととのために、なかなかこのような思考パターンから逃れられないのである。

これに対して、意味を探る態度で事象を見ていると、知らぬ間に、自分が局外者でなくなっていることに気づかされるであろう。

「意味」というものは周囲にある多くのものを関係づける作用をもっている。

因果の場合は直線的に―そしてそれはしばしば実状とは異なるものなのだが―何かと何かを結びつけるだけで終ってしまう。

意味の場合は、二つのものを直線で結びつけるだけではなく、多くのものが関連し合って、ひとつの全体を形成しているのである。

ボクは、自分の勉強を自分一人でするっていうのも、「大人になる」ってことだと思っているから、それはなかなか難しいですよ、カンタンじゃないですよってここでは繰り返し言ってきた。

そうなるためには、「苦しんでいる相対評価に親も乗っかって子供を相対評価してたら、子供がいる場所がなくなっちゃう。助けに行くときは絶対評価の基準をもって駆けつけなければならないわけです。絶対評価の基準は必須です」と書きました。

しゃんしゃんさんは、

学校へ行けないのは「自信がない」からで、
その自信をつけてあげられるのは親だとわかっているのに

と書いていますので、不登校の原因はおおむね見当がついているのかもしれません。

であれば、上の子でやった親カツ講座を下の子でやったらいいですね。自信をお子さんがつけるために、なにができるか?

別に勉強じゃなくてもイイじゃないですか。勉強じゃなくても、親カツ講座はできるから!

不登校で中学受験をしている連中はボクの周りには山ほどいるし、受験後に学校に行った連中も、やっぱり中学でも行けなかった連中もいるけれど、「子供が登校せずに家にひきこもって好きなことをして過ごす」意味は何かという問いを発すると(その答えはそれほど簡単には出て来ないであろうが)、焦って悪者探しをする態度からは皆が解放され、その事象が早く片づけねばならぬ嫌なこと、という見方ではなく、そこから何かプラスのことを引き出せる可能性のあること、という見方に変るんじゃないか、とボクも思います。

なにかプラスを引き出すんです!子供はなにを私に教えてくれようとしているのかな?って視点ですよね。

そして、そもそも「なんで学校に行かなきゃいけないの?」ってことの答えも一緒に考えないといけないでしょう。

「学校に行かなくても、下の子は優しいいい子で親子関係は良好」で、勉強も家で頑張り、お手伝いも進んでやるなら、いいんじゃないのか?って問いだってありえる。

でも、それでは「学校から逃げて好きなことをして過ごすという育ち方では本人が苦労」するとお考えだけど、それは本当なんでしょうか?って問われて、その答えを持ち合わせているかどうか。

仮に、ひどくいじめられている子供がいたとして、周りがなんとか「学校へ行ける力をなんとかつけてあげたいと考えて」引っ張っていったら、子供は死ぬしかなくなるってこともあるでしょう。これは極論ですが、学校に行かなきゃいけないのか、「学校に行ける力」って本当にいるんですかって問いだって、しなきゃいけない。

答えは各個人・各家庭でそれぞれでしょう。今は、どういう答えであってもイイ時代なんですよ。

通信制高校に行って、卒業単位を取って、普段は好きなことに没頭して、難関大学に行く子供だって山ほど出てきてる。もうね、道は山ほどある。

親が考えるレールとは別のレールも多数あるってことです。

親が持っている時代認識、問題意識が正しいか正しくないかは誰も判定できないけど、親が持っていない解を子供が出した時、「×」とは即座には言えないんじゃないか。

やっぱり「どうしてこういう答えにしたの?」って聞いてみなきゃいけないし、子供が答えを出した過程の式や考え方も聞いてみなきゃいけない。「ああ、そう考えたか!」っていうのをね。

それでも、やっぱり「学校へ行ける力」が必要であるとするなら、それが自信がつくことで行けるなら、自信の貯金をたくさんして、壁を越えたらイイ。そう、子供が思えるなら。

最後に「不登校」という事象を戦後から丁寧に解説してくれている滝川一廣著「学校へ行く意味・休む意味: 不登校ってなんだろう?」からまとめとなる部分を抜粋して紹介しましょう。

この本では、巻末に「ブックガイド」も付けてくれているので、「答えが書いてある」本が見つかるかもしれせんよ。

不登校がありふれた現象になったこと、登校刺激を避けることが通念化したことで、昔の不登校ほどの強い罪悪感や激しいあせりは一般には減ったものの、それでもなかなか気が休まらないことが少なくありません。

朝「行ってきます」とでかけ、夕方「ただいま」と帰ってくる、それまであたり前だった「日常」がこわれることがおおきいですね。これが本人や家族に不安やあらたなストレスをもたらします。

事情はひとつとかぎらないと述べましたね。勉強とか友だち関係とか学校内の事情だけであれば、学校を休めばとりあえずストレスの回避になります。

けれども、家庭内のなんらかの事情も重なっていたばあいには、休んで家にいればいるで、そこでストレスに直面したり、葛藤がこじれる可能性もあります。なかなかむずかしい。

そんなわけで、いかに休める条件を工夫するかが、最初の取りくみになります。

休めるようになったら、次になにに取りくむか。これもあなたの事情次第でしょう。

しかし、むずかしく考えず、「なんでもよいからできることから始めましょう」でよいかもしれません。

前に触れた家事の手つだいなど、お勧めです。

りっぱな労働で、ささやかながら自分がまわりからも自分自身からも承認され、学校を休みながらも社会とつながるよすがになるからです。

家事は、そうじ、洗たく、干したりたたんだり、食器をあらったりの肉体労働が中心でしょう。

からだを使う労働は、手ごたえがはっきりしています。

それに(記憶ちがいでなければ)芥川龍之介の言葉だったかと思いますが、トイレを掃除するのにだって頭がいります。頭脳労働を必要としない肉体労働はないという意味ですね。

そんなところからはじめ、趣味でもなんでもいろいろ試しながら、家のなかでの生活を少しずつ能動的でいきいきしたものにしてゆけぱよいのです。

不登校の課題は基本的にふたつです。

あなたがぶつかっているあなたの事情をとらえてその解決をはかるという課題、もうひとつは「学校へ行く意味」として述べてきたものを少しでも得てゆくという課題、このふたつを果たすことが「学校を休む意味」です。

前者は、自分たちで解決できればそれにこしたことはありませんが、必要なら各種相談機関の手を借りるのも役立つでしょう。ひとりで解決しようとするのではなく、だれかとともに解決をさぐろうと試みること自体が、社会(共同性)に向かってあなたをはぐくんでくれるかもしれません。

後者はよくよくでないかぎり家のなかだけではむずかしいので、いずれ学校(公教育の場)に戻るなり、それに代わるフリースクールや塾やたまり場的なサークル、そのほかの社会資源を自分の事情に応じて選んで活用してゆくのが合理的でしょう。

集団やグループの体験は、やはり、あったほうがよいからです。自分にあうところが見つかるまで、試行錯誤をつづけてかまいません。

不登校から学校へ復帰するばあい、こころにいれておきたいことがひとつあります。学校とは「通り過ぎる場所」だということですね。

一生、そこで時間を過ごすわけではありません。だからこそかけがえのない時間だともいえますし、だから目をつぶって通ってしまえぼよい時間だともいえます(通過儀礼で、えいっと火をとびこえるみたいに)。

目をつぶっては極端かもしれませんけれど、長い人生の通過点にすぎない場所に過剰に無理をしてまでなじむ必要はないという意味です。

学校でのいやなことには終わりがあります。

少しぐらい浮いていてもかまわないし、かならず「お友だち」をつくらねばならない場所でも実はありません。

それよりも他者にであい「自分」を知る場所なのです。

コミュニケーション上手で、みんなに受け、輪の中心にいつもいるみたいな子がクラスにひとりやふたりいます。「不登校系」の子は概してそんなわざは不得手ですよね。

ちょっとうらやましく映ったり、自分が劣ってみえるかもしれません。けれど、しょせん卒業までなのです。

クラスのなか、生徒仲間という関係世界だけで光ってみえる「コミュニケーション能力」でしかなく、学校時代が終わり、実社会、実労働のただなかに踏みだせば、問われるのはもっと別のカとなることを忘れてはなりません。

近年直木賞をとった作家、奥田英朗に「フレンズ」(「イン・ザ・プール」の第四話 角川文庫)という短編がありますね。そこには不登校あがりの高校生が登場します。

友だちがいないことを恐れて涙ぐましいコミュニケーション努力を続けます。しかし、その空嘘さと無理に気づいたとき、かれはこれまでなかった解放感と自由感をおほえるのです。

サリヴァンという米国の精神医学者は、ある時代をあまりによく生きた者は次の時代を生きにくくなると語りました。

思春期、つまり中学生から高校生くらいの時期をこころにおいての言葉だったかもしれません。この時代をあまり絶好調に生ききらぬことがたいせつです。

まわりへの違和感や自分への不全感や少々のネクラさをかかえつつ学校生活をぶきっちょに送るくらいで、おとなの時代に入ったときにはむしろちょうどよいでしょう。

それをとおして知らず知らず身につく「生きる力」があるからです。

その観点からは無遅刻無欠席の完壁な学校生活よりも、ときには「学校を休む」ことがあったりするのに意味があるかもしれません。

もっともっと読んでいただきたいところがあるのですが・・・一部はここに抜粋して載せておきました。

なお、滝川一廣先生による以下の2作はかつて非常に感銘を受けたおもしろい本なので興味がある方はぜひアマゾンで「1円ゲット」してください。

「こころ」はどこで壊れるか―精神医療の虚像と実像

「こころ」はだれが壊すのか

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うれしい報告

中3 カメさんの母さん

(省略)思い返せば、昨年夏、不登校になりかけ、学校を休んでしまいました。(省略)

不登校になりかけながら、復帰できたのは、娘の「私はレベルの高い高校に行くんだ」というプライドだったと思います。

私が勉強させてきた意図とは違った形で、結果的に良い方向につながったと思います。

また、学校を休んでいる間、私はやっていた内職が手に付かず、辞めてしまいましたが、それが結果的に、娘の勉強をみる時間(そばにはついていませんが)を多く取ることができるようになりました。

この私の時間が増えなければ、もしかしたらこの合格は無かったかもしれません。

ストロング先生が「1つ1つの出来事には意味がある。」と書いていらっしゃいましたが、今では、「神様が『内職なんかしていないで、もっと勉強をみてあげなさい』と伝えようとしていたのかな」と思えるようになりました。

当時は、そんなことは当然思えず、夜も眠れず、激痩せしましたが。

また、その当時、私は普段は精神的に不安定でしたが、娘の勉強をみている時間、とても精神的に安定することができました。

私は娘の勉強をみることで、とても癒され、楽しかったんだなと感じることができました。(省略)

受験だけではなく、子供とのかかわりにおいては、予定通りにいくことはほとんどないと言っていいでしょう。

振り返ってみれば「まさかこんなことが・・・」の連続。

しんどい出来事もたくさんありますが、これからも「1つ1つの出来事には意味がある」と考えて、進んでいってほしいと思います。

そして結果を求めて精一杯やり、結果にかかわらず、大事な経験を財産とする。だって人生は長いんですから!

◆夏までが勝負!受験は先行逃げ切りが鉄則!親カツ講座「夏までコース」
初回号「受験1年前に確認すること」←今ここ★
3月号「志望校をいかに決めるべきか?」←まもなく発送★
4月号「夏休み前までに何をすべきか?」
5月号「公開・実力テストの結果を合格につなげるためには?」
6月号「夏休みの準備として親がすべきこと」
最終号「後悔しない夏休みにするため」

★親カツ生からの感想・報告

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コース)
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