こんにちは、ストロング宮迫です。
世の中では、もう年末の雰囲気が徐々に漂ってきました。
親技でも、11月の親技ノックと12月の親技ノックを見れば、年末や受験間近を実感できる。1ヵ月違うと、切迫感がまた違いますけどね。
ちょうど5年前にここでこんなふうに書いています。今も5年前とまるで同じ気持ちなので再掲すると・・・
どんな仕事にも繁忙期というのがあるんだと思いますが、
私たちは今がまさに1年でもっとも忙しい季節。
これが桜が咲く前頃まで続きます。
白黒がハッキリつく入試ですから、悲喜こもごもですが、精一杯やりきった者には、小さくても花が咲く。
4月にパッと咲く子もいるけれど、
7月になってパッと咲く子もいて、
じっくり育って1年後に花開く子もいる。
でも、必ず花は咲く。華やかな花も、地味だけど凛とした花もあるけれど、それでも必ず花は咲く。
ただ、咲くのは精一杯入試に向かった者だけという条件付き。
ゆえにしっかり子供を入試に向き合わせて勉強をさせるのが親の役目。
だって来年いろんな花を見たいでしょ。
年末のテレビの特番なんて見なくてよろしい。机に向かえ!親もね!!
そう書いています。
親は机に向かうどころか、仕事が忙しいのかもしれないですけどね。
まあ、泣いても喚いても嘆いても、頑張るのみ!
受験生も受験生予備軍も明日に向かってGoですな。
さて、しばらく前に京都大学が発信した「学生さんへ【留年について】」という記事が話題になりました。すでにご存じのことでしょう。
もしあなたが「留年したら終わりだ」とか「中退したら破滅だ」とか、悲壮な思いで考えているとしたら、冷静になって欲しいと思います。
と学生に呼びかけたものです。
ネットでは、「優しい」「社会人にも共通する話だ」と反響を呼んだとか。親技の読者である受験生にも受験生予備軍の子供たちにも共通する話だと思うので皆さんには、ぜひ京都大学の発信記事全文をぜひ読んでいただきたい。
ここでは少しだけ抜粋してみると・・・
京都大学によれば、
留年には「海外留学その他の自己研鑽、あるいは介護、病気療養など、何らかの目的や事情があって、意図的・計画的に」する人もいれば、「学業面で困難を覚えたり、修学への意欲や意義を見失ったりして、不本意に留年してしまう人も」
いるとし、
文部科学省の学校基本調査によれば、4年制学部を4年で卒業するのは、入学者のおおよそ8割弱・・・
京都大学においても事情はほぼ同じです。ただし学部により留年の発生率はかなり違っており、入学定員の3割台に上る学部もあれば、1割台に留まる学部もあります。けれども、大学全体ではおおよそ2割の学生が留年しています。
これだけの数の人が留年したり、退学したりするということは、留年や退学は、単に個人の失敗としてのみ捉えられるべきものではないということです。つまり、現在の日本の社会において大学というシステムは、一定数の留年や退学を生み出すようにできているものなのだということです。
と、個人の失敗としてだけ捉えず、システムとしても考えるべき問題だと優しく語りかけています。
ただ大学に限らず、いかなる組織もこうして「2・4・2」、つまり稼ぐ上位2割、平均層4割、下位2割で構成されるのではないでしょうか。
学校でも塾でも、勉強面で言っても「2・4・2」、つまり成績上位2割、平均層4割、下位層2割でおおむね構成され、いずれの組織でも下位層2割はやめたり、諦めたり、立ち去ったりしていきます。
どんな組織に属しても、組織に属する限りはこの構成からは逃れられず、競争が強いられ、順位がつけられ、下位層は違う場所へ移動を迫られるのが現実のようにボクには思えます。
ただ京都大学が語りかけているように、「下位2割はダメなんだ」ってことじゃない。勉強で下位2割になったとして、それがなんですか?っていう気持ちはすごく大事だと心から思う。
1つの種目でダメだったとしても、それ以外の種目で芽を出せばイイだけの話ですから。
そのことを京都大学の発信記事では触れて諭しているように感じられます。それが「優しい」と多くの方が感じる部分なのかもしれません。
学校でも塾でも進められるカリキュラムでもっとも恩典を受けるのは上位2割の層というのは事実です。この層に属していれば、勉強面に関して言えば、カリキュラムがこなせ、授業も理解ができ、宿題をしっかりやってカリキュラムをこなしさえすれば、そのままそこに属していける可能性が高くなる。
勉強面での次の展開では志望校に近づくことになるのも疑うことのない事実です。
また、上位2割の層は組織に属していることを楽しめる可能性が高く、褒められることも多く、ポジティブになりやすい状況になります。つまり、おおむね、いいことづくめってわけです。
もちろん、学校なんかでは勉強面だけで構成されておらず、部活や生徒会活動やその他の要素もありますので、勉強では下位2割でも部活の上位2割とかもありえ、さまざまな場所・場面で己を表現できる場が広がる。
しかし、塾でいえば、特に進学塾では学校などと違い、構成要素が「勉強のみ」になるので、勉強の偏差値や順位「のみ」で「2・4・2」がカンタンに色分けされ、単純に1つの種目「勉強」での序列になりやすく、わかりやすい面があるとともに、子供たちへの評価も単純化しやすい面も出てくる。
ぶっちゃけていうと、塾では「あいつはバカ」ということが言いやすい環境が起こりやすいってわけです。
「勉強面でのみ」見て、人の全人格を規定し、評価するなんてことが愚かなことは明らかで、親は子供がそうした評価をしがちな場合はあちこちで諫めていることでしょう。
しかし、なかにはその大人が「勉強面でのみ」見て、子供の全人格の評価を1種目の評価で展開する人もいて、勉強がうまくいっている子供ならいいけれど、成績が不振の子供の場合は、そういう大人が親だと辛い。
「ウチの子、褒めることなんてなにもありません!」という親は、親が愚かなだけで、褒めることが1つもない子供なんてこの地上に一人もいない。いるのは「何も褒めることがない」とポケットに手を突っ込んで子供を見ている愚かな大人だけってことになります。
100歩譲って褒めることが何もなければ、褒められるようにしてやればイイ。こうしたら褒めてやれるよって教えてやって、それを一緒にできるようにして、褒めてやる、それが親の役目でしょう。
今は、それを親がしないで、誰か外部の人にやってくれって多くの人がお願いしたり、お金を払って頼んだりしていることが多くなってきた。
つまり、どこかの組織に預けて「よろしく」ってわけです。しかし、組織に預ければ、いかなる組織でもそこで適用される評価やルールで「2・4・2」に区分けされていく。
「上の2」に属しているなら、預けっぱなしでもいいけれど、「下位の2」に属してしまう状況になったら、本人は辛いのよ。絶対にどこかでなんとかしたいとか、そこから抜け出したいって一度や二度は必ず思うんだ。
その時、手助けする人がいるのかってこと。その状況をよく理解してくれて、「わかるよ、しんどいんでしょ。いいじゃない、今は今で。現実を受け止めて打破していこうよ」っていう人が子供にいるかいないかだけのことです。
でも、親は言うのよ「どうして? なんでなの?」って。子供はあっち側、親はこっち側で言う。
そしたらさ、子供は「あっち側」の人にはもう相談すまいって思う。当然だ。相談すべき人に相談しないことから悪循環は始まる。下り坂に差し掛かった時点なら、最小の労力で止まれるのに、下り坂で勢いがついたら、少々の努力じゃ下り坂を降りきるまで下っちゃう。
京都大学の語りかけの中で、「不本意に留年してしまったとき、その留年がさらに留年を呼ぶという悪循環をもたらすことがあります」として、留年を繰り返させる行動や考え方のパターンを挙げています。
留年を繰り返させる行動や考え方のパターン
(1)留年を家族や友人に隠そうとする
(2)一挙に挽回しようとする
(3)日々の楽しみを自分に与えない
(4)卒業しなければ生きていけないと考える
(5)時期尚早に「来年からがんばろう」と考える
(6)自分は他の学生より明確に劣っていると考える
留年だけじゃない。勉強面でも悪循環のサイクルに入っている家庭では、これが子供に起こる。
勉強面に関してこれを適用して、ボクの個人的見解と症状の軽い順番に並び替えるとこうなる。
(5)時期尚早に「来年からがんばろう」と考える
まだ「来年こそは・・・」って思えるから症状は軽い。でも目の前のことから逃げるんだな。逃げられる環境があるともいえるし、ともに策を練ってくれる人がいない状況でもある。ただ「今できない」ことは来年も再来年もできない。ゆえに放置すれば症状は悪化する。
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(6)自分は他の学生より明確に劣っていると考える
今を頑張れない子供、今を頑張らせる人がそばにいなければ、成績は不振になる。そのとき「オレはどうせアホだから」と結論付けるのが一番てっとり早い。そうしておけば、頑張らない理由にもなるし。そばについて成果を出す経験をさせる必要がある。1回や2回成果が出ても、すぐ元通りになるからそばにつく人は気が抜けない時期だ。
↓ ↓ ↓ ↓ だんだんと症状は進む・・・
(2)一挙に挽回しようとする
まだね、この時点でも「勉強しなくてもイイ」までは子供も振り切れていない。なんとかなるかもとか、努力はしたくないがなんとかしたいという矛盾した思いが錯綜している時期。「じゃあ一緒に勉強しよう」って言っても、しないと拒否したりもする。入試は迫る。蓄積はない。そこで親も子も秘策「逆転満塁ホームランを狙う」。結果、三振、しかも三球三振で瞬時にゲームセットになる。
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(1)留年を家族や友人に隠そうとする
ここまでなるとテストも見せない。ウソの点数を報告するなど日常茶飯事。もうどうでもイイや的な発言もあり。本当に話し合わなければならないことが隠されるため、打つ手が皆場違いになりやすく、場違いな打ち手は混乱を招き、しっちゃかめっちゃかになっていく。親は誰かに相談しても、その相談内容が核心に触れていないことも多い。だいたいこの時点で親はお手上げで放置して、外部に丸投げをするのが通常。
↓ ↓ ↓ ↓
(3)日々の楽しみを自分に与えない
だんだんと刃は「自己否定」に向かっていく。「たかが勉強」ができないくらいのことなのに、全人格の否定に入る初期段階。自分なんていなくてもイイとも言う。成果が出る短い時間の努力とその検証を1つ1つやらねばならないが、この頃にそばについて寄り添う人はもういなくなっている可能性も高い。
↓ ↓ ↓ ↓
(4)卒業しなければ生きていけないと考える
そんなこたぁー全然ないんだけれど、完全に自己否定になり、自分無価値論に陥る。本人は相当辛いけれど、誰もわかってくれないと思ってる。
まあ、ザックリこんな感じになるでしょうかね。
この下り坂の悪循環過程は「一度栄光を感じた人」ほど速度ははやい。一度も「栄光を感じた」ことがない子供はゆっくりと進む。
ここまで来るまでに引き返すチャンスはいくらでもある。いくらでもあったはずだけれど、スルースルースルーでスルーが5回も続けば一気にいっちゃう。
組織やシステムはその点に関して無力だ。
人しか、本人以外の誰かしかこの状況を打開できるものはない。
実に些細で、小さくて、でも虫が良すぎて、ええ加減にせいよって思うくらいの小さな芽がこんな大問題にまですぐなっちゃう。
子供だけじゃない。大人だって同じ。新入社員も部下も上司も、社長だって、小さな小さな日常の出来事が積み重なって壊れていく。
あなたの一言や寄り添う行為が流れを止めなられなくても、ちょっとした堰にはなりうる。
この世で唯一の我が子なら、堰とは言わず、ダムになれ!スルーするなよ!
今日発した子供のその言葉、なにかのサインじゃないのか?
気になったら声をかけてやってください。学校も塾も先生もみんなスルーするから。でもそれは仕方ないのよ。それらは無力なの、もともとさ。
人だけが、子供の堰にもダムにもなれる。
「もうこれが全然覚えられないのよ~」その声を聞かされていることが幸せなことだと気づきましょう。
いかなる声でも「声」として挙がっているときは、なんとかしようがある。時間がかかっても、もっといえば、うまく処理できなくても、ともにその壁にぶち当たることに意味がある。ともにだ。
世の中の無機質な組織やシステムは子供を救いはしない。救うのはあなただ。
ウルトラマンは3分しか地球にいられないけれど、あなたは子供のそばにずっといるのだから。
『10の鉄則』の感想、続々と・・・
小5はてな?さん
(省略)どのように丁寧に説明しても、何回説明してもわからない子どもに長い間怒ってダメ出しをし続けてきました。
こっちがいろいろ調べて良いやり方を示してもまったく関心を示さず、努力もせずに「どうせやってもできない」などと口にされると腹が立って仕方がなかったから。
自分の仕事のことだったら、もっと楽で簡単に解決できるのに、こと子どものことになると難問になります。
それも10の鉄則を読んで私の問題点が少し見えてきたように思います。
正しいことを言っても聞いてもらえなければ仕方がない。聞いてもらえないことは正しいのかと考えられるようになりました。
常に私が正しい立場で正論を言うことで息子は追い込まれていたのかもしれませんね。追い込まれれば窮鼠猫を噛むしかなかったか。
ここまで来た道は取り消せないので反省もし、考えをあらためて子どもに接していきたいと思います。
迷ったらご指導ください。
子供を説得するのは、会社の同僚や同じ年代の人を説得するよりも難しいはずです。
会社の同僚や同じ年代の人でも、理屈が正しいかどうかよりも、嫉妬やひがみやモノ言いや立場によって耳を貸さない人も多いでしょうが。
大人の理屈が通らないのが子供です。そこに親技の存在意義もある。
親は不動じゃいけないんじゃないでしょうか。
子供の様子を見て、押して引いて、正面がダメなら側面から、上から下から攻めていく。もう臨機応変に攻めていく。
臨機応変に攻めるためには、子供を知らなくちゃならない。子供を知らずに理屈や理論で子供に迫っても反発するだけ。
毎日ダメだしされたら、どんなにやる気がある子供でもつぶれる。
勉強は子供が頑張るんです!汗をかくのは子供!勉強で汗をかかねばならないのは親ではなくて子供。
でもそれは「自分のことなんだからやりなさい!」では進まない。
鉄則第3章読んだらすぐ実行してください。