こんにちは、ストロング宮迫です。
今日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」祝日【文化の日】ですよね。この日は、戦前は明治天皇の誕生日「明治節」でもあり、戦後は「日本国憲法」が公布された日でもあります。
この日に前後して文化祭を開催している学校も多い。みんな「自由と平和を愛し、文化をすすめ」てるだろうか?
しかし受験生の多くは模試だ・・・「自由」はないが、平和的に「文化をすすめる」前に勉強を進めなきゃいけない。
この前、受験生が「どうしてこんな受験勉強しなけりゃいけないのかなあ。したくないなあ」ってボクのそばでつぶやいたので「別にしなくてもいいよ」って返した。
「でも、しなかったら〇×△学校に行けないじゃないですか」と受験生。
「〇×△学校の志望を引っ込めたらいいじゃないか」とボク。
「それは・・・」
「そもそもさ、キミが興味なんかまるでない科目をキミに課して、かつ一定の得点以上じゃなかったら入れないよって宣言してる理不尽な学校にどうしてそんなに行きたいのよ?」
「それは・・・」
「そんな学校なんかハナから蹴っちゃえよ。オレの興味のないものを試験科目に課すそのセンスをオレは認めない。だから頼まれても受けてやるもんかってさ」
「それは・・・」
「筋が通らないよ、お前の言うことは。
惚れてるんだろ? 惚れたら相手がしてくれってことをしてやろうって思うんじゃないのかよ。それなのに、もう11月にもなろうかっていうのに【これをする意味が分からない】とか【どうしてこんな興味のないことしなくちゃならないのか】とかグチャグチャ言いやがって。
セットなんだからさ。惚れて好きだ好きだって言ってるのはお前な。その相手が【これはできるようにしてきてね】って言ってる。じゃあ、やってやるかってなるのが筋じゃねぇーか。
やっぱりそれはできねぇーって思うなら、惚れて一緒になりたいっていうのを諦めなくちゃならない。当然だろ? お互いの意思があるんだからさ。
お前の言ってることは、お金は一銭もないけど、かつ丼食いてぇー、食わせろって店の前で叫んでるのと同じなんだよ。
お店はさ、「どうぞどうぞお入りください」って言ってくれてる。かつ丼屋なら代金さえ払えば食わせてくれる、学校なら入試でクリアしてくれたら入学させてくれる。
そういう条件を課せられるのは不本意だっていうなら、無条件で食わせてくれたり、入学してくれるところを選べよ。
で、どうするの? 惚れた相手を諦めるのか? それとも無条件の相手と一緒になるか? どっちよ?」
こんな話をされたら、答えは「どっちにするかな?」なんてならない。
答えは1つだ。
このボクの返答に賛成でも反対でもかまわない。どんな理屈だってイイんだから。
ボクがそうだったから、よくわかるんだけれど、受験生はね、なんとか「勉強から逃げる」ための理屈がほしい。無意識のうちに欲するんだな。
勉強を始めようとしたら、部屋の模様替えをしたくなるのと同じだ。それは部屋の模様替えをしたいんじゃない、勉強をしたくない、先の母子にしたいだけ。そんなことはみんな経験済みでしょ。
そうした「逃げモード」の受験生がいう言葉が最近では「意味ないじゃん」だ。
「意味ないじゃん」って子供たちが言ったら、ボクは言う。
「お前には意味がないけど、相手にはあるんだよ」ってさ。
意味がないと心から思えるなら、しなきゃイイ。ブン投げちまえよ。その代り、ブン投げちまったことでしか得られないものだけで満足しろよ。セットなんだよ。
「意味があるかないかはお前が決めるんじゃない。第一、お前みたいなガキにどうして今目の前にあること、目の前のやらなきゃいけないことの意味のあるなしが判断できるんだ?あー?」
「これって意味があるんかなあ~」って思ったら、逃げたくなっている可能性は高い。別に本気で逃亡したいわけじゃないんだ。
引き留めてほしがってる。やらせてもらいたがってる。背中を押してもらいたがってる。そういう子が多いです。
「セットなんだよ。じゃあ諦めろよ?」「ハイ、そうします」なんて子供に会ったことないもの。
祝日はさ、学校も休みで、文化祭もなくて、模試もなければ、暇だからさ(ホントはヒマじゃないんだけど)「意味ないじゃん」って声が子供の頭の中にガンガン響く。
でも「意味がないことはない」ってわかってるからさ、引き裂かれちゃう、真っ二つにね。
答えはみんなわかってる。だから、やるしかないし、やらせればイイ。
「あなたがする勉強の意味はね、社会に出て・・・」どうのこうのなんて説明はいらない。100時間かけてグチャグチャ説明してもわからないんだ。
だったらカンタンに理屈だけ説明して、子供に決断させろ!
「どっちを獲るの?」ってね。
意味があるかないかなんて、「意味がある」と思えば、意味が出てくるし、理由付けは自分がいくらだってできる。「意味がない」って思えば、意味がないと思える理由をいくらでも思いつく。
逃げてる子供はね、背中を押してほしいだけ。少し押せばイイ。
今日文化の日にね、読むのにふさわしい記事がツイッターに出てた。ぜひ多くの方に読んでほしい記事です。
中2から6年間ひきもりだった山田ルイ53世「みんながキラキラしてないとだめだっていうのはウソです。みんなが輝かしいゴールを切れるわけでもないのに、「みんなそうなろう」って風潮があり過ぎる。なんにも取りえがない人間が、ただ生きていても、なんにも責められれへん社会、いうのが正常です」 pic.twitter.com/Pb8f832QL7
— ミスターK (@arapanman) 2016年11月2日
別にボクが髭男爵・山田ルイ53世に似ていると言われたことがあるから、読んでほしいわけじゃないよ( `ー´)ノ
この記事には親の方が子供に対して得られるヒントが満載だと思います。
山田ルイ53世の言う「ムダが許せないのが一番問題なのかなと思う」は、けだし名言だ。
「ダメな自分」を周囲や自分が認めて許してあげられれば、道は拓ける。
そのために「勉強って意味あるの?ないの?」という無駄話が大事になるし、くだらない話に価値が出る。
そして迷ったら、「自分を許して」あげてから「とりあえずやる」がいつだって正解だ。
「とりあえずやる」が難しい子供には「とりあえずやれ」か「とりあえず一緒にやろう」って背中を押す大人がいる。
学校を休むといった山田ルイ53世にドロップキックを見舞うしか思いつかなかったお父さん。
「おやじの、子供に対処する引き出しの中に、方法が何もなかった」というお父さん。きっと人生で「無駄なこと」なんて経験してこなかった人だったんだろう。
それ自体はすばらしいことだけど、自分が経験しなかったことはほかで、たとえば我が子で経験しなくちゃいけないのが世の常だ。
行ったり来たり、引き返したりさ、横道それたり、同じ場所をグルグル回ったり、無駄なことだらけだ。
でもそのたんびに「生きる土俵をずら」していけばイイ。生きる土俵をずらしたつもりだったけれど、実際は逃げたってことだってあるだろう。逃げた分はのちに代償を払わなくちゃならない、必ずだ。代償を払う段になって「なぜだ?」って考えたら「逃げたから」って、あとで気づくこともある。
わかれば終わりだ。その繰り返し。経験してわかる。そこからもう1回。
再生も復活も「自分を許す」が始まりだ。
以前、ここで一度叫んだが、もう1回叫ぶよ!
ノリ勉「英語」を終わっての感想
中2 kizakuraさん
◆明らかに今回の成果と思うことは何ですか?:
英語の勉強のしかたを1つ手に入れたこと。
今まで、どうやって勉強させたらいいかわからなかったが、1単元づつ、このようにやっていけば、成果も見えて力がつくと思った。
2回繰り返したので、大嫌いな単語暗記を55個もできました。
◆子供のそばで勉強を見るってやっぱり非常識でしょうか? あと、親にとって学ぶべき点はありましたか?:
小さい時から、両親が次々ああしろ、こうしろと育てたため、本人いわく、「おれはテストで100点とってもほめられたこともない」という意識が強く、「いつも、しかられてばかりいる」ということで、親のいうことには耳をふさいできました。
今回、そばで、勉強を見られることについて、毎日いやがるのですが、声をかけたりほめてあげるととても情緒が落ち着いて集中していたように思います。
そして、終わると2人で「ありがとうございました」と挨拶をどちらかともなく、するようになり、1サイクル終わった時も、
「どうする?もうやめる?」
と聞くと、「やる」と前向き発言となりました。
どうしても、親が先回りしてころばないように指導していまうのですが、今回、ほめることを見つけるように努力したことは、子供との関係性をよくするのに役立った気がします。
◆お子さんと一緒に勉強するのは楽しかったですか?:
一緒の時を過ごすこと自体少なくなっているので、とても楽しかったです。
「両親が次々ああしろ、こうしろと」言ってもイイと思うんです。ただし、「テストで100点」取ったら、大いに褒めてやらねばいけませんね。
親がああしろこうしろという場合、親の意識が高い家庭が多いのですが、高いがゆえに
「できて当然」「あそこまでやったのだから当然できるだろ」
という意識がどうしても前面に出てしまいがちです。
しかし、ああしろこうしろと言われたことをやって、つまり頑張って取ってきたらそれは子供の手柄ですから、やっぱり
よくやった!すごいぞ!
といってやって、褒めて、もっとしんどいことを課すのがよろしいかと思います。
たくさん褒めるようなことをガンガンやらせて、もっときついことを課しましょう!!